友人「和田洽史氏の8年ぶりのガーナからの帰国報告会」

令和2年1月11日(土)18:00-20:00

東京ボランティア市民活動センターB会議室で行われました。

和田氏は、(特非)ガーナ農林工芸振興協会代表として、8年前からアフリカのガーナに移住し、森林減少が進むガーナ中部で植林による森林の再生を図り、砂漠化防止、農地の自力維持に貢献するため、ニームの植栽、今後、ニーム間伐材やオガクズを炭にするという。

2015年1ヘクタールに1万本植え、吉野方式による密植造林をしたという。ニームは、2年間で平均樹高6.3m、3年目には炭焼きに適したサイズになりました。

講演は、和田節でガーナでの苦労話、ヤギを飼ったり、炭を焼いたり、その他種々でした。

思えば突然9年前に和田氏が私を訪ねてきました。

アフリカのガーナに行ってニームの植林と炭を焼きたいので、力を貸して欲しいという。私は、国際炭焼協会会長の杉浦銀治氏、熱帯農林開発協会理事長の田鎖浩氏、竹炭の大家である山本剛氏と連絡をとり、協力依頼をし、紹介しました。

1年間農林業あらゆる勉強をし、体験し、再度ガーナに渡り、今日となりました。又、本日の会場に94歳の国際炭焼協会の杉浦会長も来まして、久しぶりにお会いしました。先生には、種々、御指導頂きました。

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国際炭焼協会 杉浦会長と共に

 

以前、フィリピンのミンダナオ島で47年続いた内戦が終わり、雇用をつくる為、ニームの炭を焼くことになり、杉浦会長が炭窯をつくり、その後の運営をお願いされたので、ニーム協会として行きました。

現場では目の前でアルカイザー、モロ解放戦々、毛沢東軍、政府軍、入り混じって交戦してました。結果、炭窯は壊されました。諦めました。残念です。

ニームという木、聖なる樹、不思議な力を持った樹、この木が人の縁を作る。76歳和田氏がガーナでがんばっている。

ニーム協会も理事がガーナの隣のベナンブルキナファソで植林をし、今、トーゴ大使にもお世話になっている。

さあ、これから和田さんのがんばりに続こう。

和田さん、身体に気を付けて頑張って下さい。出会いに感謝です。

2020年1月元旦 "謹賀新年”

 今年の年賀状の文面は世界一と筆で書きました。

オリンピックの年、オリンピックは平和の祭典であり、世界一を競う競技大会であろう。

{オリンピック関係では三つの思い出がある}

  1. 私の財布の中には、1964年オリンピック東京大会、開、閉会式入場券葉書(5円の時代)

 抽選番号通知書 カー1

 抽選日 昭和39年1月21日 A1106

 外れ券ですが56年間大事な私の財布のお守りになっている。

2.  1973年10月香港の空港のトランジットで私の前に有名なボクサーが座った。

私がカシアス クレイですかと声をかけた。彼は今日からモハメッド アリだといった。

サインOKかと聞く。ファーストサインだといい、サインをくれた。

  このサインは”いい絵になる"といったのが、印象に強く残っている。

  {クレイはベトナム戦争に反対、反戦運動をし、タイトル剥奪、アラブの国でイスラム教に

改宗、ムハメッド アリの名に改名した。ボクシングの金メダリストです。}

3.女性の日本最初の金メダリスト 前畑秀子さん 息子の兵頭正時氏が友人でしたので

  1995年2月24日亡くなる3ヶ月前、名古屋の自宅を訪問しました。

  戦時中、我が母校(現熱川小学校)の近くに疎開していました。

  母校にサインを贈ろうと思い頼みに行きました。

  残念ながら、脳梗塞の為、サインは書けず"前畑がんばれ”の著書を頂いてきました。

{戦争に関する思い出}

1.ベトナム戦争サイゴンが陥落し、南ベトナムの人々がバンコク、東京経由でアメリカに逃げて

行く人々と飛行機で一緒になった。機内は臭く、すぐ逃げて来たので、着るものも靴もなく、

目がうつろの人々が数十人 固まっている姿が忘れられない。

2.グアム島から帰還兵として横井庄一氏が見つかり、日本に帰国し、国立第一病院で治療、私の次が

横井氏の治療が5、6回続きました。彼は体中が化膿し、強く臭かった、目もうつろでした。

ご苦労様でしたと一言言いました。

3.内戦の続くコンゴ民主共和国に行った。夜、一歩入った道ではライトをつけて車の運転ができない。

ライトをつけると襲われる。

夜も銃の音がホテルの近くで続く、バンバンバンと昼中タクシーを降りたら、銃をつきつけられた。

レイプでできた子供もいっぱいいる。平和はいつくるのか!?

{今年のニーム展望}

 本年はオリンピックイヤーで日本の食材が安心と安全を世界から問われる年になるだろう。

日本は単位面積当たり農薬の使用量が世界一使ってます。

日本ニーム協会は2000年に発足し、2001年にNPO法人に改組、今年は世界中にニームの植林と

研究所をつくります。

 救急車を改造した移動病院にも挑戦します。日本国内にもニームを植えます。

私には世界最高峰の三人の博士との約束があります。

(ムハメド エイサー博士)

2001年、ストックホルム条約(残留性有機汚染物質の禁止)の国連の責任者。

博士とはアフリカにニームの研究所を一緒に作る約束をしました。

(ヤップ博士)

WHO顧問。ミネソタ大学教授。 ニームが良いものであることは、私が保障する。

日本ニーム協会はニームの商品開発をして欲しいと開発の約束をする。

(レスター ブラウン博士)

環境白書を書き、環境の父といわれている。

私が何回もニームは環境の切り札になるか聞きました。ニームは地球環境の切り札になると

言い切りました。良い所に目をつけた! 太鼓判を押して下さいました。

世界を代表する三人の博士のお墨付きを頂いています。

 

世界にNPO法人日本ニーム協会の帆を進めます。

 

本年が輝かしい年になることを祈ります。                                                                                          "衆生無辺請願度”

NPO法人 日本ニーム協会 令和元年 ニーム報告会

NPO法人 日本ニーム協会令和元年ニーム報告会」

【 式 典 】

13:00 〔開 場〕

13:30 〔開会式〕 

司会   NPO法人 日本ニーム協会 理事 根本 堅治 氏 

13:35 〔開会の辞〕 

NPO法人 日本ニーム協会 理事 服部 香里 氏 

13:40 〔ゲスト紹介〕 

稲葉会長 

【講演】

13:50 アフォニョン クアク セダミヌ氏   トーゴ共和国大使館 大使閣下

14:05 ジュルス カニコエ アデュアヨム氏  トーゴ共和国大使館 広報官 

14:20  ンダンビ クリス氏  

日本ニーム協会会長補佐 コンゴ民主共和国医師

 

14:35 山根 正義 氏   

ほとんどの野菜・果実を完全無農薬            プラント栽培で世界初!結実野菜(キャベツ、レタス、白菜)を生産中           

 

 【会長報告】

14:50 NPO法人日本ニーム協会 会長 稲葉眞澄 挨拶及び報告

【 休 憩 】

15:05-15:15

【 講 演 】 

15:15 川西 恵里 氏 

日本ニーム協会公認ニーム料理研究家、管理栄養士、ロースイーツパティシエ

15:30  北岡 直二 氏   

株式会社パシフィック・ギャランティ          

  日本で居住する外国人の生活サポート会社

15:45 萩原 孝一 氏    

前・国際連合工業開発機関(UNIDO)開発官、 アフリカ協会

 16:00 質問    

【閉会の辞】

16:20 NPO法人 日本ニーム協会 理事 前田 勝之  氏

 

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アフォニョン クアク セダミヌ氏   

トーゴ共和国大使館 大使閣下

 ニーム協会にお招きいただき、トーゴの紹介する機会をいただき、ありがとうございます。

 横浜のTICAD7にて、トーゴ大統領と日本総理大臣との会合で、国と国、人間と人間のつながりを強調されていました。まさに、今日の会合にぴったりです。

 トーゴでは、国家開発プロジェクトで、トーゴの生活、経済の向上のために活動をしています。最近、日本の年号が令和になりましたが、平和そして人と人の関わりを重要だと思いました。

 

ンダンビ クリス氏

 

 コンゴ民主共和国で医学を勉強したあと、日本の大学で危機管理を学んだ。コンゴではマラリアが蔓延しており、日本で作った薬をコンゴで試しているが、ゴミが散乱が蚊を繁殖から病気の蔓延につながっており、まず、ゴミ問題を解決する必要があると思っている。

 アフリカの医療状況は、アフリカは広いので田舎の人が病院に辿り着けない。道端で人がバタバタと死んでいる。どうやって病院に連れて行くのか? 病院に行く前に自ら移動して救っていく「移動病院」をニーム協会と協同プロジェクトとして考えている。

 自分は、どうやってアフリカの人を助けるかを、常に考えている。

 

 

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山根 正義 氏

 農業を始めて50年たった。水耕栽培をやっている。水耕栽培は栄養が少ないイメージがあるが、野菜は自家栄養生物であり、外部から依存することなく、光合成、化学合成細菌などで栄養を取る。

 植物は、旬と言う言葉があるように、季節ごとに採れる野菜がきまり、北海道から沖縄まで2ヶ月くらい温度差があるが、植物は根の温度で必要なバクテリアが決まるため、根の温度をコントールすれば地域どこでも、どんな野菜でも採れる。自然災害で半年野菜が食べられなくなるのは農業とはいえない。また農薬によって野菜自身の美味しさ、強さが損なわれている。産業として農業を捉えるなら消費者にとって良いものを提供すべきだと思う。

  ゴミの問題は、ゴミを燃やして、電気を作るという仕組みなど、環境の仕組みとしてパッケージ化し、その中で農業を営むような構想がある。今、50年持続できる温室がある。張替えもなし、廃棄物が一切でない。バクテリアのすみ易さなど、とことんまで追及した。水耕栽培で苗を大量に作れる。何十万坪の苗を短期間で大量に生産することができる。地球に優しいことをしたい。

 

川西 恵里 氏

 25年間栄養指導をしてきたが、健康に良い・取ってはいけないという指導だと「患者さんの顔色が暗くなっていく」ので、患者さんにとって美味しいものを安全に食べられるアプローチに変えている。

 今まで、100種類の品目を取る、たくさん食べる、乳製品を食べる、などという、マスコミ・医者などの言葉を信じていたが、身体にいい飲み物を毎日飲み続けた老婦が急性胃炎で病院に駆け込んだり、子供が栄養過多でアトピーになったり、いろいろ矛盾を抱えたなか、研究を進めている。自分自身は野菜中心の生活になっている。

 ニームは、糖尿、ガンにいいということで、ニームの粉末を使ってお菓子の試作品を作っている。今回のデザートでは、ニームの粉末を食材に組み込んでいる。

 今までの経験を生かして、「本当にいいものを多くの人に伝える」、使命を感じている。「美味しいね、砂糖使ってないんだ!」という笑顔と驚きを作っていきたい。

 

北岡 直二 氏

 パシフィックギャランティは外国人人材の受け入れをしています。外国人が日本に来ている人数は108万人です。特に中国ベトナムが多いです。外国人人材の受け入れのメリットは①日本人人材不足解消②社内のグローバル化③海外進出の手がかり④コミュニケーション能力文化の向上です。

 特徴は、ワンステップサービスで、税理士、社労士、弁護士と組み、各国の言語で対応しています。具体的には、日本での登記など、日本での起業活動をサポートしています。

 特に、会社設立時から、外国人の日本での年金の払い戻しについてサポートしています。80%は還付されますが、自分で手続きが必要な20%を過去3年分、パシフィックギャランティが手続きします。

 

萩原 孝一 氏 

 今日は、今日しかできない話をしたい。

  生と死はなぜ起こるのか。それは生まれてきたからだ。

 誕生の「誕」の1つ目の意味は「でたらめ」。でたらめの人生を生き、そして命日である「命」の日に、死を迎える。死は、悲しいのではなく良い話ではないのか。そう考えると、生きることは苦しくない。

 親父は病院と無縁の生活だったが、倒れた時に、医者は延命の方法があると「神」のように話し、無言の語り合いを7年間することになった。

 病院でも手付金10万円、葬儀の時の100万円、この世に「赤髭やドクターX」はいないのか。もはや、年齢は言い訳にできない。医者や薬は頼れず、サプリメントが頼りだ。ニームに期待する。

 

稲葉会長

 今季、赤坂のトーゴ料理店にてトーゴ大使館側と会合を行い、翌月、トーゴ大使館に大使を訪問しました。トーゴに興味を持ったのは、3/11の東日本大震災トーゴの大統領が「東北は安全」と世界に伝えてくれたことで、個人的に恩返しがしたかった。

 8月28日、29日、30日 TICAD7は横浜パシフィコで行われ、出席しました。未来の灯はアフリカに有りの雰囲気がムンムンでした。

 6月、7月はカンボジアに行き、近澤農場の中に、日本ニーム協会研究所を作らせて頂きました。フィリピン続く研究所です。

 オリンピックが近づくにつれ、安心と安全が食のテーマとして、拡がっています。

 ニームへの期待が高まっている、大きな波が来ています。

本年も御支援、御協力有難うございました。

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母のニーム葬 愛犬ペットのニーム葬

思えば今から18年前、わが最愛の母が94歳にて亡くなりました。その時行った葬儀がニーム葬でした。

 

ニーム葬とは、仏教の開祖 釈迦尊が行った葬儀です。

五木寛之氏の仏教之の道 上・下巻にニーム葬が載っています。

釈迦尊が亡くなった時、天上天下が真っ暗になり落雷が響き渡り、その一瞬の間にセンダン(ニーム)の香りが天上天下に香り放ったとあります。

ニームの花はジャスミンに似て、ほんのりと甘い香りがします。インドやミャンマーの花の咲く頃に行くと

1ヶ月~2ヶ月の間、ニームの花の香りにあいます。

 

この花を乾燥させ、インドから持って来て母の棺にニームの花と乾燥させたニームの葉を入れました。

正に釈迦尊の行った葬儀です。

 

令和元年12月3日、8時16分 ダックスフンドの愛犬 ヤスオ君が亡くなりました。

昨年までは元気な愛犬でしたが、今年から炎症を度々起こし医者通いが続きました。

よくならないので獣医を替え、レントゲンを撮ったところ、すぐに手術だと言う。

11月27日(水)手術、夜 会いに行く。元気そうに見えるが麻酔で気分悪そう。

28日(木)妻が面会、帰りたいと吠えたという。

29日(金)、30日(土)餌を食べれない。

12月1日(日)午前中、面会 午後に再手術を要求される。最初の手術失敗? 傷口がついていないので、このままでは危ないと言われる。

午後19時30分、病院から呼び出し、手術の結果を聞くが「神のみが知る」全力を尽くしましたと言われる。

面会で顔の下に手を入れなでる。わかっている様だが声がでない。

12月3日(火)愛犬ヤスオ君が亡くなる。夜19時30分引き取りに行く。歩いて10分の距離を抱いて帰る。生きていた時と同じ重さを感じる。

ヤスオ君がいつも居た場所に遺体を置く。語りかける。手術は辛かったろうに、今は安堵の顔になっている。生きていた安心して寝ている時と同じ顔をしている。生きている様だ。

15年いつも一緒、朝 しっぽ振って送り出してくれ、夜しっぽを振って迎えてくれる。

14歳までは超元気、15歳になってから病院通いが続いた。人間でいうと80歳。

15年間、一緒に喜び ~ 一緒に笑い ~ 一緒に涙した 一生でした。

12月4日(水)自宅の庭に1m50cmの穴を掘る。ニーム葉一杯入れて自宅で葬ることにする。

甘えん坊のヤスオ君には最高の褒美だろう。

君の15年を私は決して無駄にしない。

君の飼い主だったことを私は誇りに思う。

君は素晴らしい一生だった。有難う、有難う、感謝、感謝でした。

 

母と愛犬が共にニーム葬をした事をお伝えして、供養とします。

 

 

 

TICAD7に参加して

TICAD7 アフリカ会議が2019年8月28,29,30日と3日間行われました。28日と29日は参加しました。

TICADは3年おきに1993年からスタートし行われています。

第6回はケニアのナイロビで行われまして、今回第7回は

横浜のパシフィコ横浜で行われました。

28日には安倍首相も目の前を通りました。

私はコンゴの友人クリス君と会場に行きました。

会場で菊池理事と落ち合いました。会場ではフランス語ができる

クリス君に通訳を頼みました。

会場ではチュニジアスーダンナミビア南アフリカ共和国ニジェールボツワナコンゴ民主共和国レソトスーダンブルキナファソ、エジプト、ベナン共和国以上の各国大使館の関係者と対応しました。

又、旧友のマンスール氏にも会いました。

日本の関係企業ではコマツ伊藤忠商事、加藤製作所、豊田通商

ヤマハ等のアフリカ関係者とも話しました。

29日にはセネガルトーゴの大使館関係者と話をしました。

日本の企業では味の素、タニタ、Sky Fix com JAPAN、イチバンライフ、川西水道機器、みずほ情報総研、sysmex、レキオ、パワーテクノロジー、シュークルキューブジャパン、大同工業所と話をしました。又FAO、横浜市立大学、アフリカ開発銀行、日本国際放送などの機関とも話しました。

2日間参加して思ったこと

私は第3回から参加していますが、今回は日本政府のアフリカ支援への気持ちが伝わってきます。

支援から投資へ、支援の仕方が変ってきました。

アフリカの人々が何を求めているのか、何を欲しているのか

良くわかっていない気がします。

今まで20兆円近くの金が動いていると思います。

今すぐは企業が出しても儲からない。我慢できる企業は大儲けできる可能性があります。それは若い人が多く、爆発的な人口増加が見えるからです。

何が足りないか? すべてが足りない!!

アフリカに行って見えることがある。

勇気と真義と忍耐がないとアフリカでは勤まらない。

良きパートナーを見つけることである。これなくして成功はありえない。

日本ニーム協会はアフリカ54ヶ国に植林をし、環境を守る為、すぐに手を打つことが必要と思っています。

アフリカで育つニーム植林、環境の問題そして仕事を作る。

教育と医療の問題を仲間と組み立てたい。

その一つに日本の救急車を持っていって、移動病院を作ります。

微力ではあるが、多くの友人が出来、お互いに助け合い、

これぞ日本の協力支援と言うものを作りアフリカ13億人の民と共に歩みたい。

アフリカには夢と可能性が多くある。

第7回TICADを有意義なものにしたい。

そして素晴らしい成功をお互いに作ろうではありませんか。

衆生無辺誓願度” (我れ誓って全人類の為につくす!!)

 

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トーゴ共和国大使館

7月25日、赤坂のトーゴ料理レストラン エコロロニョンでトーゴ共和国 現・前大使他と日本ニーム協会関係者と2時間半に渡って会見しました。

トーゴに日本ニーム協会のパートナーを作って欲しいと要望しました。快い返事を受けました。

ニームは全土に植わっている、マラリア対応をしているとのこと。

日本ニーム協会は今までアフリカ数ヶ国に植林をしてきました。

これから、トーゴとの対応をしていきます。

STEVE BOPJONA大使の著書 "我が心が歌う日本”

この著書には感動しました。ここに掲げます。

トーゴの紹介

トーゴはガーナとベナンの間にある面積56,600k㎡、

日本の1/7、 人口600万人、宗教(キリスト教イスラム教、アニミズム)、 首都 ロメ、

カードはほとんど使用できません。

トーゴ1884年ドイツの植民地、

1914年 第一次世界大戦の終わり、フランスとイギリスの二つに分けられました。

1960年 4月27日トーゴはフランスから独立、

5ヶ月後、国連に加盟しました。

1980年代トーゴは世界でアフリカのスイスといわれました。

2005年 40年続いたエヤデマ大統領が亡くなりました。そして2005年4月選挙でフォール ニヤシャンベ氏が大統領になりました。

日本とは1963年に国交を結びました。

トーゴには日本大使館はありません。

 

2010年8月閣議で28歳の誕生日に日本に大使館を開設すべく選ばれ、2010年10月25日に日本に向かう。

2011年3月大使館が居を構えて1ヶ月後、東日本大地震が起きる。

東日本大地震から3ヶ月後、トーゴ共和国大統領訪日。

地震から3ヵ月後、2011年6月6日~11日迄、

フォール・エソジナム・ニヤシャンベ大統領が被災地の現状を自ら目にし、現地に踏みとどまって日夜、復興の為に戦っている被災者への思いやりと支援の気持ちを表明する為に被災地訪問。

大統領のセキュリティ班のメンバーが高いレベルの放射線が残っている可能性が心配でしたが、大統領は言いました。

「今この時も現地では多くの男達、女達、子供達が生活を続けているではないか?

私が日本に来たのは世界の目に日本が安全な場所であり、被災地でも人々は生活を営んでおり、飛行機に乗ることが出来るものなら、誰でも来られる場所だということを示す為だ。

このことで観光客達が日本を避けることなど在ってはならないし、日本人も自らへの自信と信頼を失ってはならない。

Tシャツを贈りました。Tシャツの背には”愛”を印刷しました。

大統領がトーゴの全国民を代表して、日本の人々に絆と思いやりの気持ちを表明しました。

 

大統領が外国の元首として被災地を最初に訪問していただけたことで日本国民に勇気と安心を与えていただきました事。

日本国民の一人としてトーゴ大統領及び国民にお礼申し上げます。

 

ティーブ大使はトーゴに帰り、TICAD トーゴ共和国大統領特使になります。

「一期一会」の出会いですが、日本ニーム協会との小さな一歩でしたが、大きな一歩にする可能性のある出会いでした。

有難う! 有難う! 有難う! トーゴ共和国 

 

                                                                  稲葉 眞澄