我れ目前の島を見、波の音の中に思う!

戦争で幾十万人の日本兵が死んだこの地フィリピン。
日本の兵隊さんは何を夢見て死んだのか。目前の島から打ち寄せる波に声を聞く。
多くは戦って死んだのではない。病気と飢えで死んだ我が日本の兵隊。
遠くに来て、生きて帰るんだ。お国の為、親子の為、日本民族の為。
一つの生命が躍動するが多くは長く続かない。


この詩歌を書いている時、猛烈なスコールが来た。
正に日本兵の涙に見える。辛かろう、苦しかろう、目の前の島が見えなくなる。
生きるということは、自分の価値を見つけることだ。しかし連帯責任は個を葬り去る。
スコールの一滴一滴は、恨み悲しみの涙に見える。
最初は夢も希望もあったろう。来てみると絶望に変わった。
日本魂だけでは長く続かない。
遠く祖国を離れ、日本民族の繁栄と戦争に勝つことを願い、尊い人間の生命がいとも簡単に消えた。


昨日、山に入った。コブラもいるという山中に、かつて日本軍も行軍した。道なき道を歩いた。
今、私は平和と日比親善の為、平和の為の行軍を始めた。
波の前に立ったとき、日本兵の叫びが聞こえた。
(もういい!!苦しい!生きたい!帰りたい!戦争はいやだ!水をくれ!食料をくれ!戦争を早く終わりにしてくれ!)
そこには勇ましい声は聞こえてこない。人間苦しむと、大きな願望はない。目先のことだけだ。
殺しても生きたい。一人になっても生きたい。人間の本能だ。


隣のルパング島では、小野田さんが長くがんばった。
私には、今幾十万人の兵の声が聞こえた。
私達の分まで、君に願いを託す。もう戦争はするな!!
君の勇気と行動が必ず必要だ。
51万8千人の霊に心から感謝し、フィリピンのためにお返しをしてくれ。
そう聞こえた。


一本の木を植えよ。平和の木 ニームを植えよ!
ニームの木が日比の親善になる。復興の一歩になる。
一滴の水が大海になるように、一本のニームの木はフィリピンを助け世界を助ける。
そして私は唄う。“衆生無辺誓願度”