今回は、同い年でお互いに助け合ってきた大親友の
荒井裕司東京国際学園・学園長と、生徒19名
教職員8名、大人の協力者、計41名での旅だ。
全日程6日間中、3日間は私の自由行動。
学校は、3校目の受け渡し式をやっていなかったので
受け渡し式を行った。
その中で、ニームの植林をして頂き
そして1校目の校舎を訪ね、植林や交流をした。
この旅での私の目的は、サバジャパンクラブで建てた
学校訪問と、私が「NPO法人日本ニーム協会」を
設立するにあたり最初に出会ったニームの木を訪ねること。
そして私の心からの友人、ラオス人民民主主義共和国
元・林野庁長官であり、ベトナム・カンボジアに
有機農法を教えているタノンシー博士に会うことだ。
25日
9:30 VN301便にてベトナム・ホーチミン。
16:10 VN920便にてプノンペン。
19:15 VN920便にてビエンチャン到着!
ビレン氏(ラオ・ユース・トラベル)社長が出迎えてくれた。
久しぶりの再会だった。
メルキュールHOTELに泊まる。
26日
バンビエン郡ビエンサイ村に着く。
小学校では、私の最初からのパートナー
スワリー、スミレ、タノンシー博士が子供、父兄と
共に迎えてくれた。
開校式と交流会を行う。
生徒達はビエンサイ村にホームステイ。
27日
ホームステイをした生徒達を迎えにビエンサイ村へ。
ホストファミリーにお別れをする。
全員でタムチャン洞窟を探検した後で
パッポ村の小学校に到着。
学校視察、子供達と交流会、村人と面会、記念植樹。
ここから私は単独行動。
タノンシー博士が迎えに来る。
別邸に到着。お土産を渡す。
彼が作った手作りの桑のワインを頂く。
美味しい!
タノンシー博士と沢山の話をした。
ニームの国際裁判になった時
ラオス代表でアメリカに反対し
現地主義をとったと教えてくれた。
彼は土地の中にコテージを建て
有機農業の研究所も作っている。
土地の中には金髪で青い瞳の男女が大勢いる。
フランスやオーストラリアから多くの人が来ているのだ。
10m先はメコン川上流。川くだりボートの出発点だ。
多くの外国人が音楽のボリュームを一杯に上げて
盛り上がっているのは、日本では見られない光景だ。
夜、メコン川の音、蝉の声、鳥の声、虫の声
カエルの声。
大自然の中に放り込まれたのだ。
28日
朝、窓ガラスを鳥がつつきに来る。
これが目覚ましの合図だ。
手の届くところに30cmくらいのパパイヤの実がある。
朝食は山羊の乳、山羊のチーズ、バナナ
ハチミツ、桑のパイケーキ、桑茶、トマト
ライム、フランスパン。
これら全て自家製なのだ。
昼食はワラビニンニク炒め、甘草とショウガのスープ
桑のワイン、紫のトウモロコシ、もち米のごはん。
タノンシー博士の有機農場を案内される。
宝の山15,000坪。
山羊、豚を飼い、炭を焼き、土作り。
発酵技術がすごい。
発酵場所には、糸みみずが数え切れないほどいる。
すごい!
良き土を作っている。
そして、最初に出会ったニームと御対面。
直径25cm以上。大きく育っている。
思わず涙が出る。この一本の木が私の人生を作った。
この一本が私の世界救済の道へと走らせた。
この一本が・・・・・・・・・
ニームの枝を切って、日本に持ち帰る。
山岳民族の村々を訪ねる。
パッポ村から山に入る。ラオスには49の民族がある。
山を一つ越える毎に族が変わる。
道では牛の首が売られていたり、ニワトリが吊るされている。
日本では、お目にかかれない種々の動物が売られている。
危険地帯に入る。
夜は通行止め。ラオスの政府が対応できないところが
数々あると聞く。
そんな中で求めた物の一つが紫のトウモロコシ。
ボイルしたのが売られていたので、これを買ってきた。
もう一つはマカンポンという緑の10mmくらいの実。
実を割って食べ、その後で水を飲むと甘くなる。
以前テレビで見たことがあり、実際にやったが
水を飲むと実に甘さが続く。
腎臓の薬、メッシモ Catbisca(わしのひげ)
マラリア剤、Khea Khao Ho Trinospora
Crispa Miers
にも出会い、枝を持ってきた。
買い物をしている時、隣にいた青年にお金をせびられた。
安全料として渡した。
山岳地帯から帰って来てホッとしていたら
夜、時計が壊れてしまった。
さあ、困った。
29日
朝、コケっコッコーとニワトリの鳴き声。
小さな鳥が窓をトントントンと三回つついてくれた。
小鳥に感謝。
タノンシー博士がニームの枝、セッケンの実他を
取ってくれた。
昼頃、パッポ村を後にし、ビエンチャンに向かう。
途中、大雨で道が冠水。50cm位の水かさで200m先
まで浸かっており、立ち往生。
地元の食堂に入って米粉の麺を頼む。
生の調味料と五種の漬物もついてくる。
美味しく食べた。
夕方、ビエンチャンに入る。
HOTEL Beau Rivage Mekong に宿泊。
白人が経営しているプチホテルで客は白人ばかり。
メコン川のすぐ隣に建っている。
ベッドに寝ながらでも対岸のタイがはっきり見える。
私なら、泳いで行けそうだ。
10数年前、タイ側からラオス側を見ると電気の灯が
10数個パラパラと見えた。まさに落日の思いである。
メコン川のすぐ傍で大きな道を建設していた。
ゴミ箱が50mおきに置いてある。
翌朝、大きなゴミ収集車が来たのにも驚いた。
30日
時計が壊れた為、時間が分からない。
ホテルの前を人が通ったので、追いかけて時間を聞く。
外国で時計を持たないのは自殺行為である。
待ち合わせの時間が分からない。
不安が大きくのしかかる。
この3日間の時計無し生活、貴重な体験をした。
友人のビレン氏が土産を持って別れの挨拶に来る。
昼少し前、生徒達の待つホテルに着く。
タラートサオで買い物。ルアンパバン組と合流。
18:00 空港3F「ウェストコースト」でビュッフェ。
20:00 VN920便にてハノイへ。
0:10 VN310便にて成田へ。
31日
7:35 成田空港到着。
行きと帰り、学生達と一緒。
自分の青春時代を思い出しながら、変わり行くラオスに
思いを馳せる。
走馬灯のごとく思い出が走る。
何度来てもラオスの田舎には
日本の、私の子供時代の原点がある。
常に己を戒めてくれる。
ニームの木と出会ったラオス
自分の人生を決めたラオス
貧しくとも、坦々と生きる人々に会うと
涙がこみ上げる。
そこには変わらぬ、友人の笑顔がある。
以前一緒にラオスに来た
今は亡き吉本さんに心の中で声をかける。
ラオス、我が心の郷里。
コップチャイ、コップチャイ。