令和2年2月7日、ラオスにおけるボランティアのパートナー スワリー女史が亡くなりました。
私のボランティアの師、藤本幸邦和尚に哲学と実践を教わりました。
或る日友人が来て、ラオスで自己資金で学校を建て3校目の建設途中、資金がつきて困っている女性がいるが助けてもらえるかと言われ、会うことにした。
名はスワリーといい、会い、意気投合しました。ですが学校建設は国家の意識があるので、大使からの要請があれば協力しますと言った。
その場でボーディサン大使に電話を入れ、次の日会うことになった。
当日大使から「今ラオスには1800の学校が足りない。稲葉さんの力で5校建てて欲しい。」と言われ、「わかりました。建てましょう。」と約束した。
ラオスに行ってみてびっくり! 首都からバスで当時7時間、バッポ村。
家に電気がなくローソクとランプ、村の店に入ったら老婆が出てきて、「外国人を初めてみました。」と言われ、売っているものは3つ、塩、タバコ、鉄砲の玉しかない。
学校は板で作られ、腐っていて、今にも壊れそう。校長先生は校庭で鶏と豚を飼っているこの地に学校を建てた。その後東京国際学園の力をかりて大使に頼まれた倍の学校を建てることになった。
学校は建てたが子供が学校に来ない。働き手なのである。
親のない子、地雷で手足のない子、この子達に仕事を作ろうと思った。
そこで考えたのが織物、これを絹でやろう!
桑の木を植えた。日本に帰り絹の勉強をし直すことにした。
日本の桑の葉は虫に喰われたり、ウドンコ病にかかり葉が汚い。
貧しくて消毒のできないラオスでは、桑の葉が生き生きと育っている。
地元の人に何故?と聞いたら、わからないと答えた。
林野庁長官タノンシ博士に聞いたら、ニームという木のおかげと言う。
博士はスワリー女史の兄で、ソルボンヌ大学を出てベトナム、カンボジアにも有機農業を教えているという。
日本に帰りニームを調べたら1960年代、国連が「今世紀最大の贈り物 ニーム 」と書かれ、環境問題、予防医学、有機農業の切り札となっていた。
私は後にNPO法人日本ニーム協会を作るが、これは一食一円のサバ運動の一環から国際教育支援ボランティアとして発足させた。
全ては命がけで母国の発展を願い、学校を建て続けたスワリー女史との出会いでした。
2020年2月11日、残念ながら彼女の葬儀で別れを告げました。
二十幾年に渡り、共に歩みながら頑張ったスワリー さようなら。
君の撒いた学校建設という種は、永遠に生き続けるだろう。
そして、大きく祖国の発展に尽くした!! ご冥福を祈る!!
有難う。 有難うスワリー 安らかに眠りたまえ。