平成20年を振り返って 

本年は、国際連合工業開発機関(UNIDO)への新年の挨拶から始まりました。
2月はフィリピン「ミンダナオ島」へ、1月ニームの植林活動を進めていく事で合意したゴールデンリリー社の所有する土地を見に行きました。
ニームとヤトロパが元気で育つ苗場を既に作っていました。
ダヴァオ郊外の土地は、伊豆高原を思わせる素晴らしい風景です。

しかし、ジェネラルサントスには近くまで行きましたが、残念ながら内戦でドンパチやっており、行くことは出来ませんでした。
3月は吉川よしひろチャリティーショーに招かれ、「わくわくフォーラム」より、寄付を受けました。 
翌日熊本市で、ニームについての講演をしました。
3月半ばには、沖縄の海洋博を行った場所である名護の青年達が、沖縄の再開発にニームを使った有機農法をやりたいということで、講演に行きました。
4月、ミャンマーからやっとビザがおり、ミャンマー政府の協力でミャンマーニーム政府工場3ヶ所、農林省ニーム植林の場を見せていただきました。有意義な視察となりました。

そして5月1日に帰国しましたが、5月2日 サイクローンでミャンマーは大被害を受けることとなりました。
1日違いで難を逃れ、我々だけ無事に帰国。申し訳ないような気持ちでした。
7月、ミャンマー「サイクロンチャリティー」を東京国際学園で行い、皆さんよりご協力頂きました。
9月、アメリカ サブプライムローンで大問題、世界不況に入りました。
10月、日本臨床代替医学会と学術協定を結び、ご縁に感謝でした。
週刊現代鳥インフルエンザの特効薬開発の記事が載り、ニームの新たな効果に期待が強まりました。
本年度報告会にて、ミャンマー大使にサイクロンチャリティーのお金を渡しました。
11月、国際連合(UNIDO)東京事務所で、国連のニーム責任者 MOHAMED EISA.Ph.D(モハメド エイサ博士)と会談。
西アフリカの国連のニームプロジェクトに日本ニーム協会も参加しませんかの打診を受けました。
国連のニームプロジェクトに一緒に参加するということです。
11月毎年行っている、インドプロジェクトにチケットが取れず、急遽日程を延ばす事となりました。
帰りに行く予定であった、カンボジア 日本ニーム協会支部に行く事となりました。
タイ航空でカンボジア プノンペン空港に入り、岩本氏と久し振りの再会となりました。 
カンボジアの国道1号線に、日本ニーム協会の看板が(日本語とクメール語で書かれた)立っているのを見て、
カンボジアで岩本理事が3年頑張っているのだと感無量でした。
翌日、日本大使館、JICA、メコン大学を表敬訪問しました。
翌日、メコン大学の学長の母が所有している土地200万坪を見に行きました。
朝4時に出発して、午後1時に着く9時間のハードスケジュール。
バタンバンから30km、ポルポトが最後迄抵抗した場所。ここは地雷も大量敷設されていました。
コブラやハブのヘビが潜み、地雷が埋まり、この大平原に20万坪ニーム植林をスタートし、ニームの森を作ります。

又、アンコールワットの隣接の山に、ニームが一部植林されています。
ここから出る水が、アンコールワットの池の水になっているのだと思います。
赤蟻に刺されたが、ここは生薬の宝庫、虫の宝庫。
カンボジアでは天然の鰻にニームの葉を巻いて食べます。
ニームの枝葉を茹がいて、葉をごはんの上にのせて他のおかずと一緒に食べます。 
苦いニームは毒消しになっているのでしょう。
帰り、タイ経由で帰る予定がバンコク空港閉鎖で帰れず、翌日ベトナム経由で帰国しました。
昨年末のインド、今年のフィリピン、ミャンマーカンボジア、全て大波乱。
人間の知恵を生かし、大自然と戦っていく。 「地上最大の危険ツアー」
困っている人の為には、生命をかけなければなりません。
いつも危険と隣り合わせ。 そして今年も楽しかった!!

生命が踊る、生命をかけて、ニームを世に出す。
ニームと出会ったことが私を変え、日本を変え、世界を変える。
ゼロからスタートして8年、国連のニームプロジェクトに出会えた今年の終わり、さらに可能性を大にしたこの平成20年でした。