2023年11月3日:
渋谷発成田行のバスに今回の旅人3人が集まり出発しました。
神田氏79才、今までアフリカはタンザニア、南極はじめロータリークラブで色々な国を訪問してきた方です。
堀田氏はケニアに1年住んでいました。アフリカの画家を発掘し事業にしています。ブルキナファソも行ってきたばかりです。
17:00 トーゴ大使館広報官のジュルス氏と合流
23:30 エチオピア航空ET673便出発
11月4日:
乗り継ぎ50分。3千人位の人が3回靴を脱ぎ、ボディチェック、50分では無理。
ET51便は行ってしまった。乗り遅れる。市内のAdot-Tina Hotel 301 に泊まることになる。前回コンゴに行く時もアジスアベバでは嫌な思い出がある。
時間があるので、運転手を見つけ市内見物としゃれる。博物館や他をみて楽しかったです。
3食エチオピア航空もち、スイカを買ってくるが、種が多くてうまくない。
ホテルのまわりはドヤ街、朝から晩まで音楽と犬の声、すごい所に泊まっている。
11月5日:
足の痙攣で動けない。疲れからか、エコノミー症候群か?
05:00 ジュルス氏に起こされる
06:00 出発、アジスアベバ飛行場に向かう
都合3回の身体検査が行われる、疲れる。
11:00 トーゴ着、LOME GEYADE MAINT 空港に到着、飛行場で招待ビザを頂く。
昨日ついた荷物は税関が預かっていた。空港にはジュルス氏の兄弟が迎えにきてくれた。40度以上、暑い、汗が滴り落ちる。
Hotel マデイバに行く。
ホテルの外はギニヤ海、沖合には中国の船。ここでも中国は活躍中だ。ホテルの浜でジュルス氏の兄弟が作ってくれた食事をする。
11月6日:
神田氏の下痢に続き、私も朝3時から5回続く。抗生物質を飲む、すぐに治まる。
時間を間違えて3時に起きる。9時間の時差で頭めちゃくちゃ。朝一人で遠く海岸を歩く。これが大西洋か。
8時、トーゴフランに両替に行く。銀行は混んでいた。
10時30分、4月24日に日本の大使館で会った女性実行家、Deladenさんが訪ねてきた。
財務省に次官を訪ねる。隣のホテルでランチをご馳走になる。
16時、福祉大臣を訪問。1時間対話を続ける。
感謝状と時計と衣類4着頂く。また、今後1億本の植林を予定している、ニームもその中に入って欲しい、とのこと。
女性が小便をもよおし、いろいろな所に寄るがトイレはない。外の空間でやれとのこと。アフリカで大小もよおすと大変なことになる、用心を!!
11月7日:
ギニア湾の朝日が反射してきれい、美しい。
7:00 トーゴからガーナに歩いて渡る。
税関で写真をとられ、10本の指の指紋をとられる。チップをやらないと印を押してくれない。ガーナの方が活気がある、うるさい国だ。
13:15分 ホテルに着く。友人の和田氏が待っていた。
彼はマラリアにかかり大変な中、かけつけてくれた。
久しぶりの出会い、嬉しかった。青い顔が赤い顔になっていた。
一緒に食事をする。
<和田氏と>
11月8日:
朝寝坊をしてしまう。カネカ訪問。
11:00 アフリカ駐在員事務所所長の瀬古氏と会見。
アフリカに行く前から決めていました。1時間話し込みました。
隣のレストランでご馳走になりました。
それから野口英世記念病院、まるで野戦病院、種々の病気の人々が担ぎ込まれます、受付は満員。病院から医者用のマスクを頂きました。
病院の前は直径50~70cmのニームの並木、すごいです。ガーナはニームの木が40%だそうです。
野口英世が使った部屋と顕微鏡を見せていただく。この顕微鏡で黄熱病の菌が見えたのだろうか。100年以上も前の話。
マーケットに行き、自然食品を大量に買う。
<野口英世記念病院にて>
<顕微鏡と>
11月9日:
7:30 出発。
11:00 ガーナ大学訪問。
学長と話し込む。そして教育学教授を紹介うける。
日本の大学で博士号をとったとのこと(農工大学)。
彼がニームの研究をしている教授と紹介される。
日本ニーム協会と共同研究をしようということになり相互同意する。
その後、市場に買い物に行く。
<ガーナ大学学長と>
11月10日:
6時にホテルを出発。ひたすら走り、11:00に国境を越える。
トイレでひと悶着、通関に手間がかかった。
12:00 ガーナからまた歩いてトーゴに入る。なにかホッとする。
トーゴ日本大使館セダミヌ前大使が来訪。1時間半に渡り話し込んだ。再び合う約束をして別れる。
明日帰国するので、荷物をまとめる。
11月11日:
朝9時にチェックアウト、トーゴの空港に向かう。
公安の人が出国手続きを手伝ってくれる。
トーゴからエチオピア、アジスアベバ空港を駆けて駆けて、走り回って、飛行機乗り換えに間に合う。
13:00 LOME発エチオピア航空ET509便、やっとエチオピアを飛び立つ。
11月12日:
エチオピア航空ET672便、韓国インチョン空港で2時間、軽い食事をする。
そしてインチョンから成田へ。
19:30 成田着
21:30 外に出る、バス便が終わっていて、どうしよう、参りました。
11月13日:
タクシーで朝 家に着く。
疲れた旅でしたが、前回のアフリカ旅行より状況判断がつきました。
毎日寝る時間が2~3時間、日本との温度が違いすぎる。
ただ、アフリカに注射を1本も打って行かなかったので、自己責任なので、まだまだ緊張が続く。
鉄人、稲葉眞澄、終わるのか、続くのか。
私は365日ニームの葉を口に入れています。行動はまねをしないでください。
トーゴの老人の一言が忘れられません。
日本人は計画、企画さえすればアフリカで物事が出来ると思っている。でも出来ない!!アフリカではアフリカ人の考え方、行動パターンがあり、アフリカに合わせなければうまくいきません。
正にその通りと思う。金言です。
この旅で教わったこと。
私は、いつも日本に活気がなく下降線を辿っている、何故か、アフリカでヒントを掴みたい、と思って旅に出た。
結論は、アフリカ人は常に大声を出し笑う、どこでも。今の日本にない笑顔!笑顔!笑顔!、笑顔なのだ。それと、どこに行ってもうるさい。音が、音楽が、どなり声が。日本も昔はこんな時もあった。音が一日中している。でもこれが活気をつくる。
日本活性化は笑顔と大きくうるさい音。こんな町を日本でつくってみたい。日本活性化は身近にあった。そんな思いの旅でした。
アフリカとは生命をかける場所。
残りの人生、アフリカにかけたい。
ありがとう、アフリカ。
また、私を支援してくれた友人に心より感謝します。
まずは、生きてきて挨拶と簡単な記事を提供します。
稲葉眞澄記