東日本大震災 被災地訪問 2日目

 朝、4時起床。 5時 気仙沼の港を見に行く。
 途中、わからず道を聞く。 
 被災地で頑張っている自衛隊員だった。
 心から、頑張れ!  ありがとう。


 家は残っていても骨組みだけ。
 ゴーストタウン・・・思わず涙が出る。

 
 朝早く出発して、大船渡市役所を目指す。
 信号がまだ働いていない。 警官の手信号!


 市役所は車が置けないほどの満車。
 手続きの人々か・・・・・
 港に直行。 見かけるのは大阪府警のパトカー。


 港の周りは全滅。


 陸前高田に向う。
 何百回と高田の様子はテレビで毎日見てきた。
 このほこり、この臭い・・・来てみないとわからない。


 陸前高田の臨時の市役所にやっとたどり着く。
 知人の歯医者の安否確認。
 「生存しています。」
 こんな複雑な気持ちで言葉を待ったことは未だかつてなかった。
 

 同じ窓口で、知人の八木澤商店の場所を聞く。
 今は一関市の摺沢でやっていると聞く。


 石見先生は、昔農業プロジェクトを一緒にやった
 田中助役の安否を聞く。


 臨時の市役所は、プレハブ・・・
 市役所の皆様も、自分の被災もありながらも
 明るく、頑張っている姿に心打たれました。
 頑張れ、頑張れ、無言のエールを送る。


 壊滅状況からの出発だ。
 正にゼロからの出発でなく、マイナスからの出発だ。
 人間の力を信じよう! 信じるしかない。


 榎本君が4月に来て、再三物資を運んだ介護施設
 南三陸町 歌津つつじ苑に連絡がつき、直行。
 まず、マスク4000枚、入浴剤、諸々の物資を置く。
 ハエや虫がすごいとのこと。
 未だ水道がきていない。


 ここで二時間半にわたりニームの消毒剤を施設周り、
 その周りの草木に撒く。
 自分達で持ってきた水が役立つ。
 7人の侍が35度の灼熱の中、汗と涙でぐずぐずとなる。
 86歳の石見先生も共に、誰よりも丁寧に消毒を撒く。
 長い人生の大先輩のひたむきな姿勢に、また涙。


 ここに宝塚市から、宝塚市社会福祉協議会の常岡さんら
 三人が来る。  
 偶然にも宝塚市から参加の小川君と話しが合い、
 お互いにびっくりであった。


 施設を訪ねて来られた 元衆議院議員 鎌田さゆり氏と
 ニーム談議。 大変な中、ありがとうと激励される。
 大勢の方々が訪ねてくるこの施設。 素晴らしい施設だ。
 働いている方も家を流され、避難所から通っている。


 南三陸町・・・・・大変な場所だ。


 戻って一関市 摺沢の八木澤商店を目指す。
 摺沢駅で八木澤商店の場所を聞く。


 夕方4時、8年ぶりに八木澤商店 河野社長と会う。
 8年前、横浜で東京農大の藤原教授らと飲んで以来だ。
 ここの会長や専務には、日本ニーム協会のインドプロジェクト
 で大変お世話になった。
 このプロジェクトの仲介をやってくれているシン氏を
 紹介してくれた大恩人である。


 社長の河野氏は、各テレビ局で陸前高田の醤油工場として
 度々取り上げられていた。
 会社、工場、家全てが流され、39人の社員を全員首を切らず、
 さらに会社が無い中、新入社員を入れたと、報道された。


 場所を一関に移して再スタートしているのだ。
 避難所からバスで通っている社員も多い。
 電気がまだ通っていない為、4時にはみな帰宅するように
 しているとお聞きした。


 やはり電気、水道、虫の問題、大きくは雇用の問題。
 河野社長の所で、大きな消毒機械を使って、
 ニームの消毒をして頂くことになった。
 そこでニーム液を置かせてもらった。
 互いに協力しあうこと。
 7人で八木澤商店の商品を買わせてもらった。
  最後に一緒に写真を撮り、
  別れの握手をした時、
  社長の握る力に 復興は大丈夫だ!!
  心意気を感じた。  
  頑張って下さい。


 今日も昨夜と同じPホテルに無理を言ってお世話になる。
  本当にありがとう。


 夜、昨夜友人と飲んだ 食処「いくべえ」に全員で行く。
 店主は災害の心労で心筋梗塞に倒れ、
 やっと二日前に店を開けたばかりだという。
 体調を崩す人がさらに増えてきているという。
 直接から間接的な被害者がこれからどんどん増えるという。


 この4ヵ月の被害状況、変化・・・・・
 政府は見えない状況にも目を向けなければ、弱者は大変だ。
 政府よ、希望を与える政策を望む!!
 おやじさん  頑張って!!  店を後にする。