東日本大震災 被災地訪問 1日目

2011年 7月13日、 14日、 15日
岩手、 宮城、 被災地を訪問しました。


【 メンバー 】
  稲葉 眞澄    NPO法人日本ニーム協会 会長 64歳
  石見  尚 氏  NPO法人日本ニーム協会 顧問 86歳
  白鳥 女史    料理、栄養学、著書86冊、テレビ出演
  茂木 重雄 氏  農大卒のEM菌研究者    62歳
  杉  尚明 氏  元IBM  運転をお願い  67歳
  小川 佳木 氏  武学会  宝塚市から参加  26歳
  榎本 正隆 氏  被災地支援2回目   25歳


  7月13日 以上7名の侍が車2台で東京の日本ニーム協会を出発

【 訪問地 】
  大船渡市、 陸前高田市、 気仙沼市、 一関市、
  南三陸町、 石巻市、 東松島市、 仙台市、計8ヵ所

【 目的 】
  被災地をニームで消毒  友人、知人宅訪問

【 責任 】
  全て自己負担


 7月13日 朝4時起床 7時事務所到着 これから500kmの旅へ出発
 東北道から気仙沼に着くまで警察の車輌に連続して会う。
 頑張っているのだ。
 政治家の権力が不在の中、警察と自衛隊が国家権力として機能している
 ことに、思わず有難う、有難うと呼ぶ。
 頑張れ警察!  君が頼りだ!


 宿泊場所が被災地の為、取れず野宿を考えて出発。
 現地の友人にやっと連絡がとれ、気仙沼駅前のPホテルの宴会場を
 仕切って頂き、布団が5人分、雑魚寝、風呂無し、素泊まりで
 やっと宿を確保。 そこがテレビ局のN社、T社の二局の前線宿と
 なっていた。 ここから報道していることが見える。


 35度位の暑さの中、たった三日間でさえ体を拭き拭き・・・・・
 まだまだ水が無いことにも驚いたが、被災者の大変さを我が身で
 少しでも感じることが出来た。
 

 夜、気仙沼の友人 尾形君と40年ぶりに会う。
 彼との電話が通じたのが被災から12日目であった。
 その時の第一声が  「街が死んだ!!」
   生涯忘れられない言葉となった。
 みやげ物とお見舞いを渡す。
 たまたま彼と飲んだ店の店主が、
 10年来の友人、歌手の 大船 渡 さんのいとことわかり
 偶然の出会いと彼の無事を感謝し、美味しい酒となった。


 気仙沼の保育士 昆野さんにホテルまで来ていただき、
 避難所へ生理用品、入浴剤、暑さ対策商品、ほか商品を
 お渡しする。 「大変、喜ばれますよ」 との一言に
 来たかいがあった、と思える響きある言葉を頂きました。