2020年1月元旦 "謹賀新年”

 今年の年賀状の文面は世界一と筆で書きました。

オリンピックの年、オリンピックは平和の祭典であり、世界一を競う競技大会であろう。

{オリンピック関係では三つの思い出がある}

  1. 私の財布の中には、1964年オリンピック東京大会、開、閉会式入場券葉書(5円の時代)

 抽選番号通知書 カー1

 抽選日 昭和39年1月21日 A1106

 外れ券ですが56年間大事な私の財布のお守りになっている。

2.  1973年10月香港の空港のトランジットで私の前に有名なボクサーが座った。

私がカシアス クレイですかと声をかけた。彼は今日からモハメッド アリだといった。

サインOKかと聞く。ファーストサインだといい、サインをくれた。

  このサインは”いい絵になる"といったのが、印象に強く残っている。

  {クレイはベトナム戦争に反対、反戦運動をし、タイトル剥奪、アラブの国でイスラム教に

改宗、ムハメッド アリの名に改名した。ボクシングの金メダリストです。}

3.女性の日本最初の金メダリスト 前畑秀子さん 息子の兵頭正時氏が友人でしたので

  1995年2月24日亡くなる3ヶ月前、名古屋の自宅を訪問しました。

  戦時中、我が母校(現熱川小学校)の近くに疎開していました。

  母校にサインを贈ろうと思い頼みに行きました。

  残念ながら、脳梗塞の為、サインは書けず"前畑がんばれ”の著書を頂いてきました。

{戦争に関する思い出}

1.ベトナム戦争サイゴンが陥落し、南ベトナムの人々がバンコク、東京経由でアメリカに逃げて

行く人々と飛行機で一緒になった。機内は臭く、すぐ逃げて来たので、着るものも靴もなく、

目がうつろの人々が数十人 固まっている姿が忘れられない。

2.グアム島から帰還兵として横井庄一氏が見つかり、日本に帰国し、国立第一病院で治療、私の次が

横井氏の治療が5、6回続きました。彼は体中が化膿し、強く臭かった、目もうつろでした。

ご苦労様でしたと一言言いました。

3.内戦の続くコンゴ民主共和国に行った。夜、一歩入った道ではライトをつけて車の運転ができない。

ライトをつけると襲われる。

夜も銃の音がホテルの近くで続く、バンバンバンと昼中タクシーを降りたら、銃をつきつけられた。

レイプでできた子供もいっぱいいる。平和はいつくるのか!?

{今年のニーム展望}

 本年はオリンピックイヤーで日本の食材が安心と安全を世界から問われる年になるだろう。

日本は単位面積当たり農薬の使用量が世界一使ってます。

日本ニーム協会は2000年に発足し、2001年にNPO法人に改組、今年は世界中にニームの植林と

研究所をつくります。

 救急車を改造した移動病院にも挑戦します。日本国内にもニームを植えます。

私には世界最高峰の三人の博士との約束があります。

(ムハメド エイサー博士)

2001年、ストックホルム条約(残留性有機汚染物質の禁止)の国連の責任者。

博士とはアフリカにニームの研究所を一緒に作る約束をしました。

(ヤップ博士)

WHO顧問。ミネソタ大学教授。 ニームが良いものであることは、私が保障する。

日本ニーム協会はニームの商品開発をして欲しいと開発の約束をする。

(レスター ブラウン博士)

環境白書を書き、環境の父といわれている。

私が何回もニームは環境の切り札になるか聞きました。ニームは地球環境の切り札になると

言い切りました。良い所に目をつけた! 太鼓判を押して下さいました。

世界を代表する三人の博士のお墨付きを頂いています。

 

世界にNPO法人日本ニーム協会の帆を進めます。

 

本年が輝かしい年になることを祈ります。                                                                                          "衆生無辺請願度”