ラオスフェスティバル2010

 5月22日、気温30度  10時30分
代々木公園で「ラオスフェスティバル2010」が開催されました。


フェスティバルには秋篠宮殿下ご臨席のもと
ブアソーン ラオス人民民主共和国首相、福山 哲郎 外務副大臣
荒井 裕司 実行委員長の挨拶、そしてテープカットで開始されました。


司会はNHK 桜井 洋子アナウンサー
会場には多数のSPがあちらこちらに立ち
緊張の中でのスタートでした。


私も来賓の一人として出席しました。
席の回りには知人の西東京市長や友人が大勢来ています。


まずラオス民族舞踊団により踊りが・・・
女性が民族衣装で踊る姿は艶やかで美しい。
踊り手の手の動きがしなやかで
独特のリズムにラオスの伝統分化を感じます。


ラオスの超人気ロック歌手CELLS女史の歌。
言葉はわからないが、曲がつくと雰囲気で良さが何となくわかってきます。
美声と曲の乗りが聴衆と一体になり
歌は国境を越えるものです。
もし日本で歌っても十分好評を得るでしょう。



会場の外には飲食ブース、物販ブース、PRブースが賑やかに並んでいます。
気温が昇り、暑くなり、ラオスの雰囲気になってきました。
会場をめぐるとラオス料理の香りが一面に漂い、
以前行った国ラオスを懐かしく思い出しました。
一見、ベトナムカンボジアラオス料理は似ています。
米の麺を使い、あっさりした味が多い。それが美味しい。



ともかく果物が美味しい国です。
ドリアンが1個3200円  一時は一万円はしたものです。
随分安くなりました。  
ラオスに行った時は、ドリアンを2〜3個食べてあっけにとられた事を思い出しました。
マンゴスチン、マンゴー、ドラゴンフルーツ
私の好きな果物が売られていて嬉しくなりました。 ランプータンを土産に買ってみました。



私がニーム協会をつくったのもラオスが作ってくれた縁です。
国際教育支援ボランティア サバ・ジャパンクラブの代表として
ラオスの山奥に学校を建て、
農業支援として養蚕と竹の炭焼を学校の近くで始めました。
桑の木の回りに植えられていたのが「ニームの木」でした。


「20世紀最大の贈り物」と国連によって言わせたニームとの出会いでした。
その後、勉強して2000年に日本ニーム協会を設立。
2001年にNPO法人日本ニーム協会に改組して今日に至っています。


思えば東京国際学園の荒井校長先生と生徒達とラオスに行き、
生徒をホームステイさせ、
生徒の一夜での変化に大変驚いたものでした。
人間、一夜で成長するんだと実感したものでした。


その後、東京国際学園は6校の学校を建て、
日本とラオスの交流を根気良く続けています。
生徒さん達は、ラオスの貧しいながらも生命をかけて頑張っているラオス
子供達との交流は一生忘れえないものになるでしょう。



最初にラオスを訪れた時、山の中にあるお店に入りました。
老婆が店番をしていて、「外人を始めて見た」と言われました。
店には、鉄砲の弾、タバコ、塩、の三品しか置いていませんでした。


このラオスで私が一生かけてやることになる「ニーム」と出会いました。


東京国際学園の荒井校長とは同い年、我が同志です。
荒井校長が2回のラオスフェスティバルの実行委員長をやったことは、
入口を作って、荒井氏を紹介した私としては心から快適であります。
互いに良く頑張ったという気持ちです。
日本とラオスの国家的なフェアに進展したことは、
ラオスに一石投じた遠い過去を現実に戻してくれました。



今日のフェアが無事行われたことに感謝します。
これからの日本とラオスの関係が更に発展していくよう祈念し
会場を後にしました。


夜布団の中で眼をつむり、ラオスを思い出すと、
直ぐにでもまた訪れたい気持ちが広がりました。
ゆったりと流れるメコン川、大きな太陽がメコンに沈む。


素晴らしい国ラオス
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